ようこそ、真実の壹岐公晴のページへ。


「踊るスパイダーマン」は特に意味はありません。
見ていると和むので、ちょっと貼り付けてみました。

 
人と関わる時、まず自分が裸にならないと相手も本音で話せないと私は思います。

壹岐公晴とはどんな人間かを知ってもらいたく作成いたしました。




 壹岐公晴(いききみはる)

 生年月日:1960年7月22日

 血液型:A型

 身長:175cm  体重:73kg±3kg
 
 タイプ分け:サポーターとアナライザーが同じくらい  

誕生
幼少期
 


・宮崎市に生まれる。逆子で生まれ、へその緒が首に巻きつき、生まれてすぐ死にそうになった。


・小さい頃から。両親の誉めて育てるという子育ての方針が、今の自分のコーチングマインドの原点になったのではないかと思う。
小学生

・肥満児体質になる。姉と一緒に肥満児教室(!)に通う。

・運動会の徒競走では殆どトップ(但し後ろから数えて…)
中学生  

・心無い女子の一言であだ名がハチキレに…(;。;)

・風邪で1週間寝込み、起きたら母から「痩せたね」と言われ、本当に肥満児から脱却できた。

・部活動は卓球部に所属。肥満児体質からの脱却で卓球の腕も上がると思っていたが、現実は厳しかった。でも何とかレギュラーは確保。
高校生 

・壊疽(えそ)性虫垂炎で入院。手術中に執刀医が、さかんに首をかしげていた。そして「あと1日遅かったら命が無かったな」と言われる。その後2ヶ月入院。留年も覚悟したが、何とか進級できた。


・卒業記念(?)に映画を撮る。出来上がったのを成人した後に見る機会があったが、顔から火が出るほど恥ずかしかった。建前は、高校を卒業すると皆バラバラになるので何か卒業記念になるものをつくろうと映画を撮ることになったが、本音は高校で人気のあった女の子と仲良くなるのが男子共通の目的だった。(?)

大学生    

・熊本大学工学部に入学。宮崎美子と斉藤慶子とリアルタイムで同じ空気を吸っていた。しかし工学部は彼女たちの法文学部、教育学部とは道を隔てていたので、殆ど遭遇することは無かった。


・自動車免許が安く取れると言う理由だけで自動車部に入部。1年の夏休みに整備合宿と言うのがあり、自動車のエンジンを全てバラシ、その後組み立てを行ったが、どこをどう間違ったか、どうしてもネジが余ってしまいそのままにしていたが、それでもエンジンがかかり自動車は動いた。大学構内だけで乗る自動車だったので、とりあえず問題はなかった。後から先輩に、ねじが数本余るのは当然との事という事を聞き、ひと安心。と言うことは毎年整備合宿に使われていたその車はかなりねじがない状態だった??


・阿蘇の山頂から大学までの60キロ遠歩に自動車部の新入生として参加。足を引きずりながら何とか完歩することが出来た。人間やれば出来ると思ったが、2度と参加しようとは思わなかった。翌年からは自動車に乗って新入生を応援する立場に・・・・。
 が、4年になった時、なぜか研究室全員で参加することになってしまった。研究室に配属されてからは1週間のうち3日程度はランニングをしており大学時代一番体力がついたと少々の自信があり万全の態勢で望むことができた。しかし当日急な腹痛でどうしようかと思っていたが急に雨が降り出し中止となりほっと胸をなでおろした。(4年になって、ランニングをずっと続けていたので、1年の時みたいなブザマな結果だけにはならない自信はあったのにな・・・・・。でも腹痛のまま参加していたら途中棄権していたかもしれないので結果オーライかな)


・専攻は有機合成化学。アウシュビッツでも使われた有毒ガスのホスゲンを使って、ある物質を合成する実験をしていた。その際に、ホスゲンが手にかかりパニックに。もうこれまでかと思ったが、今でも何とか生きている。

・就職試験の際、面接官に「大学で何を得ましたか」との質問に、「自分の視野を広げることと、多くの友人を得ることが出来ました」と正直に答えた。他の人たちの「社会人になって自分の専門分野を活かす知識を得ることが出来ました」との優等生的な答えと自分の答えのギャップに顔面蒼白。「これは落ちた」と思っていたが、無事合格することが出来た。
社会人@

・ノエビアに研究職として入社。メーキャップ化粧品の開発を行う。当初は調香師を目指したが、ある時一度に多くの香水を嗅ぎすぎ頭痛が起こり、自分には向かないことを悟った。

・休日は百貨店の化粧品売り場で市場調査と使用感の調査を行う。たぶん傍から見たら、ちょっと変なヤツだったのかも…

・研究所配属の新入社員の飛び込みセールス研修の同行に抜擢(自分が新入社員の時は成績は決してよくなかった … いや悪かったのだが)。なかなか売れない新入社員には、前日よりよく出来たところを誉めてモチベーションを上げるとを心がけていた。この頃から誉めて育てるという、コーチングマインドをもっていたのかも。

・引っ込み思案ではあったが、ちょっと目立ちたがりと言う性格のせいか、研究所の忘年会で総合司会を引き受けることになってしまい、仕事以上にと同じくらい熱心に取り組み、大いに盛り上がり、無事大役を務めることが出来た。

・開発したメーキャップ化粧品が製品化される。(ちょっとドキドキ。大ヒットでもなかったが、大きなクレームもなかった)

・1回目の自然気胸にかかる。呼吸困難になり死にそうだったが、2回目以降は、「あっ、きた!」と言う感じで、比較的冷静に対応できるようになる。(何回かかったか忘れた)
社会人A    

・地元に帰り広告会社に勤務。主にイベント制作に携わる。


・JFF(ジャパンフラワーフェスティバル)東京の宮崎ブースのプロデュースで「農林水産大臣賞」(いわゆるトップ賞)を受賞。「えっ?!」と思いながらも、思わず心の中でガッツポーズをとった。


・イベントを作り上げる時に、チーム一丸となって仕事を仕上げるためのリーダーシップ、コミュニケーションの大切さを感じる。

・会社が倒産し、かなりへこむ。しかし、そのおかげで自分の人生をもう一度見直す良いきっかけが得られる。

・不思議な体験をする。(興味がある方はメールでお問合せください。)
社会人B 

・2001年、メールマガジンでコーチングの事を知り、人を育てる際の自分のポリシーとコーチングの考えが同じことに、非常に共感を得る。

・2002年、本間正人氏(日本人で初めてコーチユニバーシティのプログラムを終了)の講演を聞き、「人は、叱ることも大切だが、誉め活かし、誉め育てることで行動の変化が起こりやすい」と言う言葉に感銘を受け、コーチングが自分の目指すものと確信を持ち、コーチングの勉強を始め、コーチングをライフワークに選ぶ。現在はシンクタンクに勤務。
社会人C


コーチ21の集合研修(アドバンスト・コーチング・トレーニング)に参加し、他のコーチが常に前を向き続けている事にインスパイアーされ、クラスコーチに興味を持つ。
と同時期に、あるシニアクラスコーチから、「クラスコーチになるとすごく学びが多いよ。」と言う言葉を聴き、真剣にクラスコーチを目指し、クラスコーチの勉強を始める。


・クラスコーチの試験の際に、参加者から「もし、自分がコーチングを始めて間もない時にこのクラスに入ったら、コーチングの楽しさ、すばらしさを感じるようなクラスでした。」と言う身に余るようなフィードバックを頂き、もしこの試験に不合格になっても、自分が伝えたいものが伝わった人がいたことにすごく満足した。(もちろん、厳しいフィードバックのほうも多かったのですが・・・) 結果はおかげさまで合格。
・ 宮崎で初めてかつ唯一の(株)コーチACTPクラスコーチになる。

■コーチングを受けて感じたこと
・ コーチングを受けていると、知らない自分を知ることが出来たり、自分がコーチとして、また人としてのあり方をよ〜く見つめる、(自分にとっては非常に)有意義な時間になっている。
・ 自分の意識を少しずつその薄皮をはがしながら自分探しをしていくと、昔の記憶や忘れていた自分のポテンシャルを思い出し、今まで歩みが停滞していた状態から、再び歩み出すきっかけを気づくことも多々ある。
 
 
壹岐公晴ってどんな人間かは少しはご理解いただけましたでしょうか。
 本来ならば、一度お会いして、私の人となりを見ていただいた上でのほうが良いかもしれませんが、もし、ご興味をもたれ、コーチングについて話を聞いてみたいとか、お試しコーチングを受けてみたいと思われる方はメールでお問い合わせください。(話を聞いたり、お試しコーチングを受ける場合は、いずれも電話、もしくはスカイプ(通話料無料)はお客様からいただくようにしておりますことをご了承ください。)

 

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おまけです